伝えようとするものに目や耳を閉ざしているのではないでしょうか?

雑談
StockSnapによるPixabayからの画像

他者と自分のありようを見つめて考えるきっかけとなりそうな本を読みました。
自分はエセ関西弁を使う。
「なんでやねん」や、最後の方に使う「知らんけど…」は最高に便利だと思う。
今日は、「伝える」について考える1日となった。

流行り言葉や死語、カタカナ言葉は伝える方と受け取る方の状態をよく考えなければならない。

この世の中は、多様性の時代は多数が偉いのか?
日本各地にある方言が無くなってしまうような気持ちになった。
選挙に行って投票する。票は民主主義によって反映される。
なんとも公平で不公平な世界。多様性の時代は少数の意見を大事にするものだと思う。

いくら自分の中でピンと来ていても相手がぽかんなら意味ないし。
逆もしかりで伝えようとするものに対して目や耳を閉ざしているのではないでしょうか?

様々な伝え方があって、受け取り方がある。
もう少し寄り添った時間の使い方をしなければ、ただただ時間が流れていく気がした。
グローバル化、多様化といい、大きい物差しで簡単な道を走る傾向がある気がする。
出会った事を喜び合える社会になればいいのに。
そんなことをぐだぐだと書き残しておく日。

伝えるの本質は、「人と人とが関わり合うこと」だと思う。

時代の流れは止めることができない、多数に流れる。
それでいいのかと思う次第で、まだまだ話が続くのですが、
お時間が来ましたので続きはまたの機会に申し上げたいと思います。
本日はこれにて!

コメント

タイトルとURLをコピーしました